魚心筆心

No.4 擬態

海の生物に限ったことではないが、弱肉強食の世界では弱い者も強い者も、擬態によってその存在を隠すということがある。
この世に生物が誕生して、それぞれに様々な進化を経て、その中には擬態して肉食動物に食べられないように隠れたり、はたまた擬態で隠れて他の生物を捕食したりするようになった為である。

タコなどは自分の意思で、自分の身体を、周りと同じ色形に変えることが出来る。
とは言っても、テレビの様にカラーにはならないし、「ターミネーター2」の液体金属の様に、腕をナイフにしたり顔にしたりも出来ない。
褐色だけではあるが濃淡の調整や、身体をデコボコにするくらいならすぐに出来る。
岩に似せたり、砂地に似せたり、中には海藻に似せて波に漂っている風に歩くものもいる。人間でも気が付かずに通り過ぎることがあるのだ。

人間が気付かずに通り過ぎてしまう海の生き物は他にもある。
ダイバーに人気のイザリウオの仲間のベニイザリウオなどは、海綿に擬態しているし、キアンコウという魚は砂底に同化して餌になる魚を待っている。
ハダカハオコゼに至っては、海藻に化けていて、しかも敵が近づくと、かすかに揺れ動き、あたかも海藻がうねりに漂っているかのようにする。

幼魚なども体いっぱいに渦巻き模様があったり、大きな黒斑があったりするものがいる。
大きな魚の眼に擬態しているのだ。
大きな魚の眼ににらまれれば、体は見えなくとも、敵となる魚は逃げていくのだろうか。
魚の眼にはどう映っているのか知りたいものだ。

擬態とまではいかないが、アジやサバの腹が白くて背が青いと言うのも意味がある。
腹が白いのはその魚を下から見上げたとき、水面の明るさに同化するためで、背が青いのは鳥などが海中を見たとき、目立たなくするためである。
小さな魚が群れて大きな魚に化けるというものもある。

ヘラヤガラという魚も擬態しているようだが、私にはとても擬態しているようには見えない。
大きな魚に寄り添って泳いでいたり、色を変えて漂っているだけで人間にはバレバレなのだが、魚にはわからないのだろうか。
まったく魚の世界は不思議である。

人間の世界でも擬態がある。
ガードマンや警備員の服装がそれだ。
彼らのように外部の者の侵入を警備したり、他人から何かを守るという仕事では、服装を警察官に似せる必要がある。
人は警備員に指示されると、(警察官に似ているので)捕まってしまうかも知れないと思ってついつい従ってしまう。

たとえば、あれがロックミュージシャンの格好だったら、その指示に従うだろうか。
「ここには入らないでおくれ、ベイビー!」なんて言われたら、「どうしてだよ」と言って反発してしまうだろうか。
そんなことを考えたりする。

生物たるもの、やはり擬態は必要だ。

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